もう10年?

あのころ逃げていなかったら、私は死んでいたことになる。運良く、自分にとって運良く、と言うところだけれども、山に登って死なずに済んだことになる。死なずにいてよかったことがとても多くある。

まず、昔はアホだったな、と過去を省みることができると言うことだ。今もアホだけれども、昔っていうものは自分でいくらでも変えることもできるし、震災のことについてもそうだ。いろいろなことが変わってしまったけれども、人間にとって悪いことであったってだけで、大きな宇宙規模で見たらチリみたいな出来事であることも事実なわけで、いつまでもクヨクヨしてられないな、と思う。核を使った人類への罰だったと今でも思う。

いろいろなことがあの事件を境に変わってしまった、けども、僕がやることは結局変わらなかっただろうし、悲劇のヒーロー的存在になんてなりたくなかった。普通の一般人として振る舞っていたつもりでいた。

ちょっと当時のことを思い出してみようかな、なんて、あの当時は本当にガキンチョで、津波をなまで見たわけなんだけれども、なんだこれ?ってなって、とくに悲しい、とか、エグい、って感情すら湧かなかった。ただ無感情で、祈っていた。最果ての感情って、無なんだなって、あの当時思ったりなんかしていました。流される人の悲鳴を聞きながら、ただ黙っていた気がする。

その後の記憶が本当に思い出せない。中学の時の後輩と会ってよく喋るんだけども、あのとき、先輩こうでしたよね、とかいろいろ言われる。なにも覚えていなかった。体が勝手に、記憶を抹消していたのかもしれない。体じゃない、脳か。

そんな身体の欠陥を、高校では無意識に隠していたのかもしれないな、と思ったり、思わなかったり、今の自分でもよくわからない様な感じで、高校3年がすぎてました。でも、とにかく楽しかったな。大学に来てから、そういうことを伝えたり、話し合ったりする機会がないので、さらに震災の記憶は無くなっていきました。今ふと思ったが、僕は震災から逃げて高校は地元を離れたのかもしれない、無意識に。

そんな中で音楽や友達は、たくさん僕を救ってくれた。やっぱ困難を共にしたものって、これからも一生大切にしていきたいなって思う。人間は生きるために生きているけれども、生きるという大枠の中に、大切なものを大切にする、っていう概念はかなり大きなものでいる気がする。いろいろ考えたりするが、結局はいつも同じ結論になる。うんこ製造マシーンはうんこ製造マシーンなりに、頑張ろうと思います。

これからも平和に、互いに助け合っていきたいです。見放すことはしちゃいけないし、無関心は本当に大きな罪です。私は私の思う大切なものを大切にして、これからも生きていきたい。